2015 2. 25

 

今日は、ギャラリーダズルにて「実践装画塾」の特別講義を受け持たせていただきました。

昨年の「実践装画塾」を見学して、とても興味が湧き

主宰されている日本図書設計家協会の会長である宮川さんに「お手伝いさせてほしい」と申し出たところ
今回の特別講義という形での初参加となりました。
私としては、コピーをとったりお茶くみ程度の「お手伝い」のつもりが、いきなり講義!
しかし、これもきっとなにか得るものがあるに違いない、と、二つ返事でお引き受けすることにしました。

今回が5回目の塾で、特別講義は初の試み。
卒業生たちにも講義を聴いて欲しいという、宮川さんの計らいで、

今回に限り卒業生の聴講を受け入れることになったのは良いけれど
いつもは受講者の9名相手なのが、今日だけは、プラス20人弱くらいだったか...

ギャラリーの中はぎゅう詰めでガラスが全部曇ってしまうくらいの熱気でした。


実用書の宮川さん文芸書の関口信介さん人文学書の臼井さんといういつもの講師陣、

プラス私ということで、かぶっていない児童書と翻訳書のジャンルの話をしました。
あれもこれも話したいことがたくさんあって、あとで思い返すと言い足りない部分があったり
あるいは説明不足だったんじゃないかと思うことがあったり。
特に、人物を描くということにかんしては、後で質問を受けてから

もっと丁寧に説明すればよかったと思うことしきりです。

人物像をはっきり描きすぎてしまうと、読む者としては興醒めしてしまう。
そのような、読者モニターの意見の傾向が強いという話をしました。
ただ、、イコール人物を描くのはNGということではありません。
人物の絵なんだけれども、その絵で全部説明せず
どこか想像の余地を残しているほうがいい、ということです。

後ろ姿であったり、顔が斜めを向いていたり、顔が影になっていたり。
読者は自分なりの想像をしながら小説を読みます。

それは読書の醍醐味と言ってもいいでしょうから、

そこでイメージが相反して読者ががっかりしてしまうのは避けたい。


矛盾するようですが、児童書ではキャラクターがはっきりしているほうが良かったりもします。

ただその場合、キャラクターが読者に受け入れられやすい、魅力のあるほうが望ましい。

読者=子ども受けするということが大事になります。


全ての絵描きさんにこのような理屈が当てはまるかといえば、そうでもありません。

その点もっと突っ込んで話す必要があったかなと反省しております。。

なかには、人物をクールに記号的に描くイラストレーターさんもいます。
そういう絵は、ミステリとくに探偵ものや刑事ものに向いている場合があります。


児童書でも、あえて感情を抑えたちょっと怖い人物の絵が、妙に心を捉えることがありますね。

それはそれで、上記の「魅力的なキャラクター像」という切り口とはまた異なったアプローチになります。

まあ、読者の心を惹きつけるという意味では、「魅力的」ということで括れるのかもしれないけど、
少し違う意味合いなのはわかってもらえるかな。


絵やデザインに関しては、ふわっとした傾向みたいなものがあっても、かならず例外があったりします。
その「例外」に関して、もっとちゃんと説明ができると良いのですが、なかなか難しい。
私の話を聞いて、どうも自分にはぴんとこない、当てはまらない気がすると思った受講生は
どんどん個人的に質問をしてくださいね。
私のできる限りでお答えします。

講義の後の打ち上げでは、みなさん楽しかったと言ってくださり、ありがとうございました。

緊張もありましたが、全体にとても楽しく講義ができました。
じつは緊張しないですむよう講義前に少しお酒を飲んで行ったんですけど
それがよかったかもしれないです(笑)
講師のみなさん、受講生および聴講生のみなさん、たいへんお疲れさまでした!





2015 2. 8

 

ブログの引っ越しを考えているうちに
なんやかんやで更新する手が止まってしまっていました。
(結局まだしていない...)

 

今年に入ってからのこの1ヶ月間、たったひと月とも思えないくらい
駆け足でいろんな出来事がありました。
個人的にも、世の中の出来事も。

特に、ISILによる人質事件は、とても大きな出来事だったと思います。
ツイッター上でそのことについてつぶやいているときに、
「クオ・ヴァ・ディス」という本に触れました。
だから、今回はその本について書こうかと思います。

私がこの本を初めて手にしたのは中学3年生のとき。
東京から山口へ転校することになり、当時の国語の先生がお餞別にくれました。
上中下と3冊もあるし古くて読みにくそうだと思い、しばらく読まずにおいてあったのですが、

高校に入学してからなんとなくふと読み始めたら、止まらなくなってしまった。
その本も岩波文庫でしたが、タイトル表記が今と違って「クォーワーディス」だったと思います。
現在のものは「クオ・ワディス」になっていますね。
ちなみに「クオ・ヴァ・ディス」は、映画化したときのタイトルだったかな。

100年ちょっと前に書かれた本で、作者はシェンキェーヴィチというポーランドの作家。
物語は悪名高いネロ皇帝統治下のローマが舞台です。
暴君ネロが支配するローマの享楽に溢れた宮廷において、
その確固たる審美眼ゆえ、ネロの寵愛を受けている貴族ペトロニウス。

そのペトロニウスの甥で根っからの武人のウィニキウスが、異教(=キリスト教)の娘リギアに一目惚れをします。
ウィニキウスは、なんとかして彼女を手に入れようとするのですが、リギアに拒絶されます。
強引なやり方で娘に迫るウィニキウスは、とうとう力尽くで彼女を連れ去ろうと試み、
そのときにリギアの身を守る大男ウルススによってひどい怪我を負わされます。
敵とはいえ、暴力はキリストの教えに背くこと。激しく後悔したウルスス。
ウィニキウスはリギアとその周りのキリスト教徒たちのもとで手当て・介抱され、
徐々に快復していく中、彼らの教えに目覚めていきます。


ウィニキウスはキリスト教を、リギアの考え方をだんだん理解するようになります。
キリストの教えを学びはじめたウィニキウスの姿を見て
リギアも彼を愛するようになり、ふたりは婚約します。
その矢先にローマの大火という歴史的な事件がおこり(ネロが火をつけた?)、

ネロやその取り巻きがそれをキリスト教徒たちのせいだと言い出します。

そこからキリスト教徒への迫害が始まるのです。

その残酷な拷問と虐殺の様子は、コロッセオで見世物として公開されます。

しかし、そこでキリスト教徒たちは、ネロをはじめ観客の誰もが意表を突かれるような形での抵抗をみせます。

 

快楽と自分への崇拝をひたすら求めるネロの、そして我が身を守りたいが故にネロに擦り寄る周囲の人間の、醜さ。
なかでも、キロン・キロニデスというギリシャ人の老人は、
キリスト教徒のふりをして仲間に入り込み、彼らを売って裏切ります。

その卑屈さと強欲と自己中心さには、読んでいてほとほと嫌気がさす。
それでも、キリスト教徒たちが、彼になにかの影響を与えていたのか...
思いがけないことがキロニデスの身の上におきるのです。

迫害によって、多くの死者が出ます。
キリスト教徒だけでなく、宮廷でネロの寵愛を失った者たちもまた、その存在を消されていきます。
甥を守りたいが故の言動で、キリスト教徒の味方だとライバルによってネロに吹き込まれたペトロニウスは

徐々にその身が危うくなっていきます。
そこで、ネロの逆手をとるような、非常に彼らしい、美意識溢れるやり方で決着をつけることにします。


悲劇的な物語のように思えるかもしれませんが、そこには救いがあります。
それは、生きていく上で自分の武器になるような救いかもしれない。

なにか突然の暴力に出会ってどうしようもないとき、勇気を与えてくれるかもしれないと思った本です。

 

  ・ ・ ・


人質となったジャーナリストがクリスチャンだったと知って、
私はこの本のことを思い浮かべました。
動画で見たその表情、瞳に、コロッセオの犠牲者たちのような強さを感じました。
どうかその魂が安らかでありますように。
私自身はクリスチャンではないけれど、そう祈らずにはおれません。

 

2015 1. 7

 

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

年末年始、本棚を整理しなくてはという思いから、
手持ちの本を読み返すことが多かった。
一時期は村上春樹氏の著作を片っ端から読んだ。
読み返すと、以前読んだときと同じ箇所でちゃんと感動するし
また、前には何とも思わなかった部分での気づきもあるのが面白い。
実際にレイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」(清水俊二訳のほう)を読み、
あらためてその面白さを思い知って、ほかのマーロウものを読みたくなって買いあさり
(もちろん以前に全部読んでいるけど、1冊だけ手元に残してほかは処分したのだった)
結局本を増やしてしまったりもしている。

仕事柄、読まないけれども造本の参考にしたくて所有している本も少なくない。

デザインや写真や美術に関した本もそれなりにある。

どうしたら本の数を減らせるのか。
どうしたら服の数を減らせるのか、
と似た葛藤である。
所有している喜びと、いつでも読めるという安心感。
捨ててもまた買えばいい。
というわけにもいかないときがある。
偏愛だ。




2014 10.9


仕事用で、東急池上線沿線の荏原中延駅近くにある、隣町珈琲へ行ってきた。
ご存じの方も多いと思うけれど、平川克美さんのお店である。

平川さんがちょうどお店にいらっしゃったので、
連れの編集者さんと一緒にご挨拶した。初めてお会いした。
ちょうどランチタイムで、メニューを見る前に
今日のカレーは美味しいよ、と薦められる。
せっかくなので、カレーと珈琲をお願いした。
どちらも、とても美味しかった。

喫茶店の壁は、カウンターの奥以外はどの面も本棚が大きく面積を占めていて、
好きな本や、読みたいと思うタイトルがずらりと並んでいる。
「この本は私が装丁したんです」と言って、
サリンジャーの評伝を本棚から抜き出して手渡すと、パラパラとしばらく目を通して

にこっとしながら「これはいい本だね」とおっしゃった。

入り口脇の本棚にあるのは販売用で、平川さんの著作や
盟友と言われる内田樹さんの本、ミシマ社刊行の本などが多く置かれていた。
その中に、平川さんがご自身の父親を介護した体験を執筆した、

医学書院刊行の「俺に似たひと」という本があった。
平川さん自らと、一緒にいた編集者さんが「この本はすごく良い」と語るので
読んでみたくなって、買って帰ることにした。

今日、お昼を食べながら、この本を読んだ。
読んだら止められなくなって、結局最後まで読んでしまった。

ある日、平川さんのお母さんが怪我をして入院し、
それをきっかけにして、あっけなくこの世を去ってしまうところから始まる。
残された父親の家に移り住んで、はじめは「手伝い」そして「介護」の日々。
バタバタと大変な日々を想像してしまうけれど、
父親と二人で黙って夕飯を食べるような、静かな情景が心に残る。

介護生活の中で料理に目覚めた平川さんは、

お父さんのリクエストになるべく応えようと、はりきって食事の支度をする。
食事の支度というのは、毎日の生活のなかで必ずしなくてはいけないことで、

楽しめるゆとりがあるときは喜んで手間暇かけるけれども、
疲労があるときにはけっこうしんどいものだと思う。
でも、そんなことは一切書かれていなくて、むしろ
料理は案外楽しいというようなことがおもに書かれていた。

隣町珈琲で私が食べたとても美味しいカレーは、平川さんが

お父さんの介護のなかで培ったレシピだったんだなあと読みながら思った。


この先、自分自身の親の介護に直面するとき、もう一度この本を読もうと思う気がする。
それで、ちょっと救われるかもしれない。





2014 9.27


今日はイラストレーター寺坂耕一さんの個展を見に行った。


場所は森岡書店という古書店兼ギャラリー。
茅場町の駅を出て、永代通りを霊岸橋に向かって歩き、

橋の手前を右に入ってすぐ左側にある。

川沿いの、どっしりとした見るからに古そうな建物だ。
きけば、昭和初期戦前に建てられたのだという。

古いといってもボロいわけではなく、むしろ造りはしっかりしている。


入り口は堂々としていて、数段の石のステップをあがると、

レトロな手すりのついた、木枠にガラス張りの両開きの扉がある。
足下にギャラリーの展示案内がひっそりと置かれていて、

あやうく見逃すところだった。


両脇についた昔ながらの玄関灯や

入り口の上に表示されたビル名のレリーフに時代を感じつつ、

中に入るとベージュとえんじの大理石のタイルが敷かれている。

もちろんエレベータはないので、階段で3階まであがる。
表示のある部屋のドアをそっと開けるとそこが森岡書店だった。

寺坂さんとはギャラリーハウスMAYAでの装画コンペが縁で

その後パトリック・ネスという児童文学作家のシリーズの装画をお願いしたりした。

装画コンペに入賞した後は、しばらくご実家のある宮崎県にいたのだが、

最近、再び東京に引っ越してきた。
イラストレーターという枠に留まらず、多方面に交友関係を持っており
ファッション、雑貨、音楽、文学と興味の幅の広い人だ。


今回の展示は、古典名著を遺した作家のポートレイトがメインで
バルザック、ボードレール、ジョイス、プルースト等がシンプルなタッチで描かれている。

一見クールだけれど、どことなくユーモアがあって、
たとえばコナン・ドイルのポートレイトはドイルが妖精を眺めている絵だったり
その作家について少し知識があれば、クスッと笑ってしまうような遊びがある。

もちろん、作家について何の知識がなかったとしても、寺坂さん本人にきけば、

「この作家はこういう人だったから、こんな絵にした」ということを教えてくれる。


残念ながら、展示は今日までだったので、

是非どうぞ...とおすすめしたいところだけれど
そうはいかないのだった。
今後、こういう展示についてなにか書くときは
早めに行って紹介するべきだなと、いま少し反省しています。


森岡書店には初めて来たけれど、残念ながら店主の森岡さんはご不在で
お目にかかれなかった。

しかしながら、代わりにいらしたTさんを寺坂さんにご紹介いただき、
しばらく3人でお喋りをした。

その雑談のなかで、なぜかサリンジャーの話題になった。

Tさんは、その昔、雑誌の仕事をしていたころ
実際に(何度か)サリンジャーに会って、インタビューをしたことがあるという。
その記事は事情があって、チェックが入り、掲載できなかったそうだ。
しかし、サリンジャーの評伝を読んだり、今回の
Tさんのお話をきいたりしていると

「頑固で偏屈で人嫌いな変わり者」というサリンジャー像は、
極端に造られたものではないかというふうに考えるようになった。
Tさんは「偏屈なのではなくとても内気な人だったと思う」と言っていた。


Tさんがサリンジャーにインタビューできたのは、
ジョン・アーヴィングの紹介だったと言うから驚きだ。
アーヴィングも私の大好きな作家である。
(つい先週、「未亡人の一年」「サーカスの息子」を読み返したばかり。)
アーヴィングとサリンジャーは親しかったようだ。
もしかしたら、アメリカ文学に詳しければ
知っている人の多い事実なのかもしれないけれど。

それでも、私のような人間にとっては面白い、興味深い話だった。

と、いろいろ話の尽きないなかで、

桐谷美香さんという方の写真集を1冊買って帰った。

とても美しい花の写真。

いずれまた、森岡書店にはゆっくり遊びに行きたいと思う夜でした。





2014. 9.22



好きな本の話を書こうと思う。

好きな本は沢山あるけれど、その中でも

「この本と出会えてよかったな」と思った本。

その1冊は、イサク・ディネーセンの「アフリカの日々」です。


この本について考えると、必然的に別の2冊の本のことを

思い浮かべることになる。

1冊は、ピーター・ビアードの「ジ・エンド・オブ・ザ・ゲーム」。

「アフリカの日々」を読むきっかけとなったのは、

この「ジ・エンド・オブ・ザ・ゲーム」を読んだから。

ピーター・ビアードは、ディネーセンの「アフリカの日々」の愛読者で、

著書の中でかなり詳しくディネーセンの生涯について語っているのです。

Pビアードが写真に納め続けた、滅びゆく「古き良きアフリカ」。

その「古き良きアフリカ」時代を実際に体験したディネーセンが、

細やかな美しい文章で著したのが「アフリカの日々」。


北欧の男爵夫人だったディネーセンは、その数奇な人生のなかで、

アフリカに渡ってコーヒー農園を経営することになります。

(そのあたりの経緯は、Pビアードの著作やウィキペディアなどで彼女の経歴を読めばわかる。波乱に満ちた人生で、それを乗り越えるだけの強さを持った女性だった)

そこで過ごした実際の日々を綴っているのが本作。


「私はアフリカに農園を持っていた。ンゴング丘陵のふもとに。」

という文章で始まる。

文章が流れるように美しく、目の前に見たことがないはずのアフリカの風景が次々に浮かんでくる。

翻訳も素晴らしいのだと思う。

「草原を横切ってゆくキリンたちの行進を何度も見かけた。キリンたちには奇妙で独特な、植物のような優雅さがあった。動物の群れではなく、花梗の長い、花弁に斑点のある珍しい花々が、ゆっくりと動いてゆくようだった。(晶文社刊 横山貞子訳「アフリカの日々」より)」



さて。

「アフリカの日々」から連想するもう1冊の本は、

サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて(キャッチャー・イン・ザ・ライ)」。

読んだことのある人なら覚えているかもしれない。

好き嫌いの激しい主人公のホールデンが、「アフリカの日々」を読むシーンがある。

本を読んで感動すると、その本の著者に電話をかけたくなる云々というくだりがあって、

ホールデンは、ディネーセンには電話をかけたくなる、と言っている。


「ライ麦畑」にアントリーニ先生という人物が出てくる。

ホールデンが尊敬していた唯一の学校の先生で、その理由はというと

ある事情があって窓から飛び降りた生徒のそばに、誰も近づこうとしなかったとき

その先生が生徒の脈をとり、上着が血まみれになるのも構わずに抱き上げて運んだことが

ホールデンの心の琴線に触れたのだ。


「アフリカの日々」の中には似たようなエピソードがある。


農場の雇い人の息子が、仲間内のパーティの場でふざけて猟銃を撃ち、

二人の子どもに深刻な怪我を負わせてしまう。

女主人のディネーセンが呼ばれてその場に行くが、

その場にいた人々は怖がってちりぢりにいなくなっており

瀕死の子ども二人だけが取り残されている。

片方は顎を吹き飛ばされて、血を吹き出しながら悲鳴をあげ続けている。

悲惨な現場だ。

ディネーセンは絶望しながら、叫んでいる子どもを抱きしめ

怪我をした顔を自分の胸に押し当てる。

すると子どもは叫ぶのをやめる。

「掌をあてて痛みをいやすとはどういうことなのかを、おかげで私は知ることができた」

この猟銃事故のシーンは、作中でも最もぞっとする場面だ。


きっとホールデンは、この部分を読んで、アントリーニ先生に感じたのと同じ尊敬を

ディネーセンに対して抱いたのだろうな、と想像できる。



サリンジャーも、私の好きな作家のひとりだ。

こんなふうに一見関係のなさそうな本と本のあいだに小さなつながりをみつけると

なんだか嬉しい気持ちになる。

 

 

…「アフリカの日々」に出てくることでずっと心に引っかかっていることが、実はもう一つあるのだけど
今回思ったよりも長くなってしまったので、それはまた別の機会に書けたら書くことにします。

 

 

 

2014. 9.14

 

ご案内を送ってから、多くの方々がHPを訪問してくださっているようです。
ありがとうございます。

そんな中、「一緒に作った本が見あたらないのですが」という声がありました。
実は、ここに載せきれない本が多々あって、泣く泣く点数を絞って掲載しています。

期待して見てくださったのに、ご一緒したお仕事を紹介できていなかったら、本当にごめんなさい。
今後、手がけていく本と同時に、過去の載せきれていない本も、一緒にアップしていけたらと思っています。
よかったら、今後も覗きに来てください。


2014. 9.11

 

HPを開設しました。
やっと!といったところです。

独立してちょうど10年目にあたる今年はひとつの節目。

多くの方々にお世話になりながら、ここまでやってきました。
ほんとうにありがたいことです。


仕事をまとめながら、一緒に関わってきた人たちの顔を思い出していました。
そんな方々がホームページをご覧になって、
「懐かしいなあ」と思ってくださったら嬉しいです。

あるいは、いままで私のことを知らなかった方に

「こんな仕事をしているんだ」ということを知ってもらえるのもまた、ありがたく感じます。

 

ブログも、ときどき更新してまいりますので、覗きに来てください。

今後とも、よろしくお願いいたします。

 

藤田知子